j_deafの日記(兼:更新記録) 2012年1月〜6月

2012年6月28日 (木) インドネシア最終日(6/25)
インドネシアも最終日。昼過ぎに、日本コミッショナーとコタ方面へ向かう。コタ周辺は、オランダが統治していた時の建物が多く遺されていた。昔、バタビアと呼ばれていた地域。目的は、コタ郵便局とドリアン探し。古い街にあるコタ郵便局に1000ルピア未満の低額面切手があるかと思ったが残念ながらなしの回答。郵便局へいく途上、ドリアンを探したが無かったそうだ。ドリアンは匂いの強烈な熟れたものでなく、青い時が旨いとのことで、興味あったのだが残念。コタ郵便局すぐ傍のCAFE BATAVIAで小休憩。トイレの中まで、写真の額縁が壁いっぱいに飾れていたのは面喰った。
ホテルに戻る時、コタ駅からバスに乗る。始発なので座れたが、大勢の人が乗り込み、降りて行くので、スリに狙われたらひとたまりもないだろうな。一人ではとても乗れない。ホテルに着き、部屋に戻って、出発の準備をしようとしたら、部屋の磁気カードが効かない。フロントで磁気カードを再発行してもらうも、20分程のロス。急ぎ、帰国の準備をして、チェックアウトを済ませる。水漏れで迎えられ、磁気カードの不調で見送られるとは、不思議な気分だが、無事で何より、ということだろう。ホテルから空港までタクシーでと思ったら、ホテルの玄関でコミッショナーと話し合った人が、切手展の関係者で、空港まで送ってくれるとのこと。期待しないで様子を見たら、本当に車がやってきた。道も最初は混んでたが、途中からスムーズになり、出発まで3時間以上の余裕で空港に到着。夜の11時過ぎに出発。

2012年6月25日 (月) インドネシア10日目(6/24)
国際切手展最終日。早いもので、国際展も今日で最後である。
午後1時閉場ということで、正午ちょうどに会場に着いてみると、既にチェーンが張り巡らされ、クローズの貼り紙。一瞬迷ったが、中に入って観て回る。一度だけ、出ろと言われた。聞こえないので何を言っているのかは、分らないが、姿勢から観て出ろということだろう。試しにと1時閉場という資料を示すと、態度が変わってOKになってしまった。ともあれ、ざっとみて回る。1時少し前にチェーンの外に出る。展示物のないフレームは既に相当解体され、また、作品のあるフレームは、縛り付けている紐を普通のカッターと思われるもので次々と切断。丁寧にリーフを取り出してくれば有難いのだが、テープであっちこっちとめている以上、簡単ではないはず。ちょうど、通路側に近い部分で取り出し作業があり、観察してみると、やはりテープ取りで手間取っている。リーフをフレームにとりけたままの状態ならリーフを痛めにくいと思うが、1の腕の上にリーフを置いてはがそうとすると、
リーフが波打ってしまう。特に、ボストーク標準リーフは薄いから、切手やカバーを傷めかねない。更に、保護ラップが1辺開いた状態ならば、中から切手やカバーが落ちる恐れもあると感じた。少々観察した後、ホテルに戻り、小休止後、帰国する4名と共に夕食を軽くホテルの中華料理店で食す。6時に作品を受け取りに会場へ向かう。会場に着くとフレームは完全に消えて、所々にフレームの骨組が残っていた。会場の中央部に、リーフ取り出し組と思われるメンバーが円陣状に集まって、座り込んでいた。気の疲れる作業を終えて、ほっとしたことであろう。
会場奥にある作品受取所に向かうも、何組かが待機。何やら訳分らないが、日本の番になったらしく、中に案内される。日本の作品が収まったボックスを見つけ、チェック開始。流れを見ると、地元の担当が先にチェックし、更にコミッショナーが再チェックするという流れ。所が、別の担当が割り込んで、何やら、やりとりをしあった結果、チェックは、日本側がチェックしてOKならばそれで良しとなった模様。良く分らないが、自作を自分でチェックし、全カバーが無事、心配していた箇所も大丈夫ということで、一安心。
隣で、別の国がチェックしていたが、テープを全く取り外してなかったため、リーフをめくる時、いちいちテープを外したりしていて、大変そう。テープが付いたままで良いからそのまま戻って欲しいという考えは再考しなければ…。ともあれ、日本全作品のチェック作業が終わったのは、8時半頃。リーフを傷めたりというのは少々あったが、切手やカバーがないというのは確認した範囲ではなさそうで、ひとまず一安心。

2012年6月24日 (日) インドネシア9日目(6/23)
国際切手展6日目。昨夜のパルマレス後、イギリスのオークションハウスをチェックした時は、ジャカルタでの夜12時過ぎ(日本時間で夜の2時)。何もなければ、すぐ寝ようと思ったが寝れなくなった。まず気付いたのは、全ロットで落札値が入っていたこと。最低値より下の落札値になっていたのもあったが、入札の対象としたものは結構高く、こちらの入札より数倍になっていたのもあった。このあたりは、やはり下見しないと分らないものが多いだろう。結果は、数十ロット入札で、入札値を下回ったのはわずかに3ロット。入札値と同値が4ロット。もし、他の入札者と同値であればギリギリで入札した分、分が悪い。帰国してから詳細分析したいと思っているが、滅多にないセールの体験となった。大量なので、そのうちに、eBayなどに出回って来るかもしれない。
一眠りし、ぐつろいた後、遅めの参観。アメリカの郵便史を重点的に観る。点数は16点と多くはないが、16点中、大金4点、金9点、大金銀3点とハイレベル。グランプリに相当する Grand Prix d'Exposition を獲得したHeart of the West: San Francisco as a Postal Hub from 1849-1864 は、昨年の横浜でも目を引いた作品で、今回で3回目の大金。大金を3年分獲得すると、チャンピオンクラスとなり、一般競争部門には出せないので、当分観る機会もないだろうと、じっくり観ていたら、そのグランプリ作品の撤去作業が始まった。あっちこっちで撤去作業が行われ、見る限りアメリカからの出品ばかりなので、どうやらアメリカは最終日を待たずに作品返却を求めたようだが、最終日を待たずに、グランプリ作品が撤去されるのは、ちょっと変な気持ちになった。当初からの予定なのか、参観する気をなくした、作品がかわいそうだと言われる程の展示環境によるものなのか、その他の理由なのかは分らないが…。
夕食は、ホテルからかなり近い所にあるSOGOの地下にある食店街で取る。SOGOの手前にあるDaily Foodshopで食べてみたいのだが、同行人がSOGOの弁当が気に入ったみたいで、同じ店で3度目の夕食。

2012年6月23日 (土) インドネシア8日目(6/22)
国際切手展5日目。実は、インドネシアでは、軽いインフレでデノミも行われていないので、表示価額も、日本より2桁多い感じ。インフレカバーを集めている身としては、初めてインフレの実地体験で、たまらない。瓦貼と呼んでいる瓦のように積み重ねたカバーを作成しようと目論むも、事前調査では、郵便局で販売されているのは、2500ルピア程度以上、日本宛の航空便は8000ルピア程度で多数貼は作れない。切手展会場の郵便局に東インドオランダ領の作品を出している方が親切に問い合わせた所、最低額面は、1500ルピアとのこと。100ルピアとかは無いとのこと。ということで、1000ルピア未満の低額面切手が残ってないかどうかを確認すべく、午前、インドネシア語を少し理解できる方と一緒に中央郵便局へタクシーで行く。
まずどこから入るかでまごつく。同行人が警備の人から聞きだして、回ると2階への階段があり、そこが入り口。半円状に20カウンター位あり、奥は別フロアになって中は銀行の窓口。適当なカウンターに1つだけ作成した自宅宛の書状を差し出し同行人が切手のことを聞き出す。別のカウンターに回されるが、その担当は書状を受け取って、それで終わりと思ったらしい。再び、やっと切手のことを尋ねる。やはり1500ルピア以上という返事。それでもしつこく訊き出したら、しばし探して、1000ルピアのちぎりかけた10枚綴りを出してくる。1000ルピアで充分。もっと出してと訊きだすと4x4の16枚シートを出してくる。そうこれだ、あるだけ買おうと、もっと出してと催促すると一瞬の間のあと、これが全部だという。更にしつこく尋ねると、奥から何やら持ち出してきた。切手のセットで、最低額面が500ルピア。でも額面の数割増し。結局、ジャカルタ中央郵便局まで行っての成果は1000ルピア26枚だけ…。日本宛の航空便3通がやっと。
切手探しは不発に終わったが、この5日目の夜は、切手展のハイライト、パルマレスが滞在ホテルで開催。
日本の結果は、速報した通り。バイキング形式で、料理をとろうとすると長い行列。通路には収まらず、食事テーブルの間を人が並ぶ有様。飲み物だけで、しばし過ごすも待てず、結局行列のなかったデザートから食べ始め、メイン料理は後回し。1テーブル10人で日本人だけが集まったのが1テーブル。その隣に二人。更に審査員2名の夫妻が審査員のテーブルにと日本人が結構いた。メダル授与で、大金賞は出席全員が受け取ることになっていたらしいが、日本からのは呼ばれず、コミッショナーが指摘し、やっと同じく呼ばれていなかった人とメダル授与。パーティも終了し、部屋に戻って、試しにとイギリスのオークションハウスをチェックするともう落札値速報が…。

2012年6月23日 (土) 【速報】日本の結果
パルマレスで配布された日本の結果です。誤記などあるかもしれませんので、その際には容赦願います。

Shin-ichi Chiba_____95 LG Japan Etched Stamps 1871-1876
Tsukasa Ishizawa____90 G Ryukyus 1945-52
Zenta Iwasaki_______83 V Imperial Korea 1884-1905
Masayoshi Tsuchiya__83 V Japanese Occupation Stamps Southeast Asia
Renichi Yamada______88 LV Japan Definitives 1883-1892 UPU and New Koban
Saburo Masuyama_____75 LS The Netherland East Indies 1939-1942
Saburo Masuyama_____85 LV The Netherland East Indies 1942-1945
Hiromasa Iitsuka____76 LS Postal History of Manchuria
Kenzaburo Ikeda_____80 V Prompt Delivery in Japan as Nationwide Service
Kazuyuki Inoue______95 LG Japanese Post Offices in Korea and Foreign Postal Activities 1876-1910
Junichi Tamaki______88 LV Postal History of the Japanese Military Mail 1894-1921
Yoshiyuki Yamazaki__90 G The Courier Mail in Japan 1600-1837
Fumihisa Ito________87 LV Hungarian Inflation 1945-1946
Fumiaki Wada________75 LS U.S. Post Office Department / Official Business Airmail 1911-1945
Yosuke Naito________86 LV A History of Hong Kong

2012年6月22日 (金) インドネシア7日目(6/21)
国際切手展4日目。切手展の折り返し点。オークション入札疲れからなのか、調子が出ず。午後4時から、オランダ人の主催の会があり、誘われてたこともあり、参加。2時間ほどの間に、個人同時の交流を深めていた。玉木さんや土屋さんも参加されていた。
アメリカの郵便史作品を2つじっくりとみる。アメリカの郵便史は点数は少ないもの粒揃い。特にカバーを目立たせる面では参考になりそう。

2012年6月22日 (金) インドネシア6日目(6/20)
国際切手展3日目。Cavendishというイギリスのオークションハウスへの入札をする。
本来なら、日本にいる間に入札を済ませたい所だが、ぎりぎりまで作品作成などで、インドネシアまで持ち込んでしまった。Cavendishは、今回初めて知るオークションだが、内容を見て仰天。Whitesite氏という人のコレクションなのだが、1950年以前では、ドイツ・ハンガリーはもちろん、オーストリア・ポーランド・ロシア・ルーマニア・ギリシャ・中国もあり、こちらの全く同じ方向。インフレカバーばかりが、1万通近く。
Whitesiteという名前を、どこかで見たような気がして調べると、ハンガリーインフレの師匠の本に、ハンガリーインフレカバー調査協力者十数名のリストに入っていた。イギリスでは相当有名なコレクターだったらしい。但し、切手展には出してなかったとのこと。国際切手展でイギリスの切手商に聞いたら、やはり知っていた。
マルチインフレカバー収集家が見当たらず、いるはずだと思っていたが、やはりいて、膨大なコレクションを築いていた。残念ながら、昨年故人となり、売りに出されたのであるが…。
ともあれ、大コレクションを、多くは100通程のロットにして、画像は1ロットに1通だけ。記述もあるが、それだけでは選びようがない。実は前夜の超豪華な中国料理も上の空で、皆の話が分らないことをいいことにして、入札のことばかり…。
料理からホテルに戻って、オークションハウスに入札タイムリミットの確認を入れる。十数時間後という返事。そうなったら、ますますエキサイトせざるをえない。入札のメールに対し、無事受付を兼ねた入札ありがとうのメールを受けた後は、気が抜けてしまった。
腑抜けとなったように、浮遊状態で展示会場に行ったら、各フレームの間にも絨毯を敷く作業が終わりかけていた。3日目に絨毯がしかれるのは、インドネシアらしいなのだが、絨毯の無かった横浜に比べれば、絨毯の面では、残念ながらジャカルタの方が上か。

2012年6月20日 (水) インドネシア5日目(6/19)
国際切手展2日目。「百聞は一見にしかず」を感じた一日であった。会場に行くと、まだ立ち入り禁止を示すチェーンが張り巡られている。ぐるっと回ってみたが、殆ど終わっているも、ちらほらと白いフレームが見える。しばらく様子をみて、怒られれば出ればいいと腹を括って中に入る。
真っ先に、自分の作品を探す。すんなりと見つかったが、最終フレームが未展示。他の日本勢の作品を確認。大半は展示されていたが、フレーム順がゾーン丸ごと右から左になっていたり、フレーム順が違っていたりと、文句をいう気も失せてしまう。無事展示されているだけでも良いとするしかない。
11時過ぎに、日本で最後の作品、コミッショナーの作品が展示される。その前に自作の最終フレームも展示されていて、日本勢の全作品が展示されたと、ちょっと一安心。作品の展示が無事終了したので、自作品などを改めて見る。少し暗い会場でなかなか気付かなかったのだが、セロハンテープでリーフを止めていることに気付く。リーフ受けはあるが、丈夫なものではないので、リーフ受けの上からフレームにテープで止めていて、それがリーフに掛かっているのを見つける。これはと全リーフを確認すると第7フレームは、リーフ受けそのものがなく、フレームに直接、テープで貼っていた。これじゃ、時間がかかる訳だ。そして、作品を取り出す時、どのようにするのが心配になってしまう。よりによって高価なアイテムが揃っている第7フレームとは…。ある程度は、保護ラップにテープが付着するのは必然的であろう。むしろ下手に剥がされるよりいい。
昼食を食べた後、ほぼ作品が展示されていることもあり、目ぼしい作品を探す。どんどん歩いて、気になるフレームの番号に印をつける。右から左向きにある場面も多く、最初は奇妙な気分だったが、気付いたら慣れてしまった。一通り見て回って、数えると40作品近い。大半は、展示内容に興味があるのだが、10作品程は、展示技術的に面白そうなもの。さて、今後どうしょうかなと思案していたら、奇妙な場面に遭遇。電動ドリルで、フレームの4隅に穴を開けだしていた。空けた穴に一度縛れば切らない限り外せないタイプの紐で縛り付けていた。一瞬何をしているのか分らず、目を疑った。確かに、盗難防止にはなるが、穴をあける際に出てくる屑が、パネル内に入り込んでしまう。穴を空けるなら、展示作業を行う前にあらかじめ、やって欲しいのだが…。しかもパネルがフレームにぴったりと嵌らずに湾曲していて、上下を太いテープで止めているので、屑が外に出ずに、フレーム内に落ちやすくなってしまう。自作は、保護ラップは4辺閉じを使っているが、3辺閉じの場合、開いた辺から、屑が入り込む可能性がある。作品を返却するコミッショナーも大変だ…。なるようになるしかないと観念。そうしているうちに夕食タイム。
日本コミッショナーが中華を食べに行こうということで、国際展審査員2名の夫妻も同行でタクシーで移動。有名ブランドが並んでいるところで、こんな所にと思ったら、グッチとかが見えるところで、壁も床も全てが黒で、如何にも上品な店。フカひれ入りの極上のスープなどを堪能。

2012年6月19日 (火) インドネシア4日目(6/18)
国際切手展開幕。オープニングセレモニーをみた後、展示会場に入る。一昨日の作品提出時はガラガラだったが、フレームで埋まっていた。さっそく、参観しようと思ったが、すぐ虎模様のテープに気付く。ぐるっと一周してみると、まだ相当数の作品が未展示で、白いフレームが目立った。参観できなくでは、どうしょうもない。少々早めの昼食を済ませて、ホテル周辺を歩いてみる。思ったより近くに、ロッテのスーパーがあって、少々の買い物。その後、ホテルに閉じこもる。膨大なインフレカバーコレクションが競売にかけられるので検討するも絞り込めず。午後5時半に会場を再び覗くが、午前よりは埋まったものまだまだ白いフレームが目立つ。2日目参観できるのを祈るしかない。
歓迎会が行われ、バスに乗り込む。1時間ほどして会場に着く。海辺のリゾートで、バイキング形式。面白いのはアルコール類が一切ないこと。2年前のリスボンで会った方と再会したりと楽しめた。歓迎会は、招待者のみで、審査員・各国コミッショナークラスでないと参加できない。取り計らってくれた日本コミッショナーに感謝。

2012年6月18日 (月) インドネシア3日目(6/17)
切手展は明日から。この日は完全フリーということで、日本から一緒だった方とジャカルタ市内のバードパークなどを回った。スラバヤ通りという骨董品店が200店程集まる通りに行き、つい切手収集家の性が出て、切手探し。売れるかもしれないということであっちこっちの店からストックブックが10冊以上出てきたが、大物はなく、へなへなの南方占領地切手1枚、昭和切手に南方占領地の消印1枚と、戦後日本からインドネシア宛の葉書2通を見つけたのみ。葉書の価額交渉は1桁違って話にならず、不成立。

2012年6月17日 (日) インドネシア2日目(6/16)
午前中に、日本勢の作品を提出しにホテルから会場へ向かう。日本コミッショナーがホテルの人と何やら話して地下階に降りたので、おやっと思ったが、ホテルから会場への直結の地下道があって、歩く歩道まであったのは驚いた。急なスコールがあっても安心して会場とホテルを行き来出来る。重量制限のため、傘を持ってこなかったが現地調達の必要がなさそう。地下道の終わりに会場の地下に入るのだが、その後が分らない。適当に1階に上がってみたら、人が一杯。何か日本関連のイベントの様で、入場も厳重。変な所に迷い込んでしまった。会場を抜け出て、本当の会場を探すも分らず、うろうろ。ようやく会場に辿り着き、作品を提出。受付担当の女性、初めは慣れない手付きだったのだが、最後には慣れてきて、作品チェックがスムーズに。
日中は、市内で買い物をし、荷物を減らすため持ち込めなかった筆談用の紙などを調達。ホテルの周りに、食堂はなく、夕食は必然的にホテル。気付いたら、リスボン、横浜で見かけた顔が続々と現れ、切手展が近づいていると実感。

2012年6月16日 (土) インドネシア初日(6/15)
日本のコミッショナーと新宿で落ち合い、リムジンバスで成田空港へ。重量オーバーで何か言われるのかなと思ったが何も言われず、拍子抜け。インドネシアの空港に着いたら担当がいることになっていたが、それらしきのは見当たらず。そのままタクシーでホテルへ。空港からホテルまで直線距離では20km程度なのだが、渋滞で2時間。これがインドネシアなんだと妙に納得。ホテルで部屋に入って、しばらくしたら、入り口の近くが水浸しになっていることに気付く。ちょうど隣の部屋でメークをしていた人に合図して見てもらう。どうやら、クーラーの不具合。いったん、修理してもらったのだが、遅い夕食の前に、同行者がフロントにかけあって、部屋を変更してもらうことに。まぁ、超満員のエレベーターに閉じ込められたリスボンに比べれば可愛いものか。新しい部屋に入ってネットに接続しようと試みるが、エラーメッセージが出てギャフン。とにかく寝て体の回復を図ることに。

2012年6月15日 (金) いよいよ出発
これから、インドネシアへ出発します。昨夜、スーツケースの荷物を正味8Kgまで減らしました。それでも3Kgオーバー。とりあえず、そのまま持っていって、何か言われたら、改めて考えることにします…。旅行ガイドブックの地球の歩き方、結構重いですね。500gある。

2012年6月14日 (木) いよいよ明日
早いもので、明日、インドネシアへ出かけます。荷造りで悪戦苦闘中。スーツケースで20KgまでOKと思っていたが、昨夜確認したら、手荷物と合わせて20Kgとあるではないか。手荷物は、作品(約5Kg)とノートパソコンだけで制限7Kgギリギリ。スーツケース自体が8Kgあるので、12Kg詰められると思っていたのが、5Kgに半分以上ダイエットしなければ…。師匠の本(2Kg)などは勿論無理。筆談用の用紙も結構重い。現地調達を考えないと…。結局出発間際までバタバタしてしまってます。今回は、土曜に作品が仕上がったので、少し余裕があるかなと思ったのですが、いつものパターンです。

2012年6月9日 (土) 最後の1フレーム
丸一日かけて、最後のフレーム、第1フレーム作成に取り掛かる。さっさと作れるリーフを作り、正午には、書き込みがまだ出来ていない4リーフだけ残る。3リーフを何とか仕上げ、最後に残ったのは、タイトルリーフ。以前、ワードで、ある程度出来たが、更に作り込みというのが出来ない。料金期間の表の扱いがやっかい。ということで、エクセルで作り始める。色々試行錯誤して、やっとイメージ通りのタイトルリーフ完成。それも5日を余しての完成。人に見てもらったりして、修正も可能。ハンガリーインフレの国際切手展作品はこれが3度目だが、いつもギリギリまでで、修正の余裕が全くなかった。

2012年6月8日 (金) あと1フレーム
インドネシア展が本当に目前に迫ってきた。1週間後、ジャカルタか…。時間を見つけてはひたすらリーフ作成。ともかく7フレーム作成。残ったのは第1フレーム。タイトルリーフを含め、いくつもの課題があるが、明日一日で何とかしたい。一度作成した7フレームの中にも変えたいなと思う所がいくつか。なお、パソコン作成のいい所は、間違いや修正したい箇所を見つけ、それが簡単な修正で済むなら、すぐ修正・再プリントできること。数分で済む。こうして再印刷したものは10リーフを軽く超える。

2012年6月2日 (土) ようやくプリント
未確定部分が数リーフ残るも、ともかく全リーフ印刷する。プリンターが印刷してくれるので、労力が殆どないのがいいところ。印刷する直前にも、あるアイデアが浮かび、該当部分を修正。1フレーム分だけ貼り込み、並べてみる。何とか様になりそう。

2012年6月1日 (金) あと半月
早いもので6月。6月15日にインドネシア行きなので、作品作りも本日を含めてあと2週間。というのに、少しずつ、書き込みの見直しをしているも、相変わらずフラフラ…。

2012年5月30日 (水) ブルテン2
ブルテン2が、日本のコミッショナーから届く。既に作品を作り終えている方が多数いるようで。早いです。まだ一枚もリーフに印刷していません…。早く印刷し、貼り込みたいが、個別カバーで、追記・修正したいと思っていた部分を追記・修正。

2012年5月29日 (火) ようやく形をなしてきた
昨日数十リーフ、今日10リーフ超の共通の変更を実施。これで、かなり仕上がってきた。書き込みは、3リーフとタイトルリーフが終わっていないが、印刷及び貼り込みの段階が近づいてきたようだ。
今回試している変更に、料金期間中、確認N通の1通といった記述を入れてみたが、ちょっと心元ない。最大が9通で1桁なので、許容範囲かなとも思うが、どうなのだろう。他の要素を絡めると確認2通とかの表現が可能なので、工夫してみるか。他に試してみたいことに、注目のカバーを赤線や二重赤線の枠などで囲むといったことがあるが、今回は見送り。今度のインドネシア展で、もう少し研究して、次回で試せたら試してみよう。

2012年5月27日 (日) カバー到着
今日中にリーフへ印刷としたかったが、検討中や修正箇所がまだ多く、印刷出来ず。本気になってわずか2日間でというのは欲張りだったか。リーフが一部重なる(という前提)ため、リーフの表示位置下限を上げたりするなどの対策の修正も終わらず。更に、改善したい箇所、盛り込んでみたい箇所、試したい箇所が出てくる。メモして、今回の出品作品でやる、次回以降の課題というように切り分けなくでは…、でも、思うのは簡単だが、実際にやるのは…、とやっていたら、書留が届いた。先週落札したばかりのカバーだった。5月中に着くかなと思っていたが、思ったより早い到着。サイズもちょうどいい具合なので、カバーの入れ替え決定。

2012年5月26日 (土) ようやく
エンジンがついてきました。必死…。

2012年5月18日 (金) あと1ヶ月
インドネシア展の会期は、6/18-24。本当に開始まで1ヶ月となった。作品の制作時間は、もはや1ヶ月もない。しかし、まだ1リーフも作り直してない。少しずつ、昨年の横浜の作品データをいじり始めた所。更にハンガリーのオークションに有力なカバーが出てきたので、応札。もし落札すれば、作品に入れ替える最後のカバーになるかもしれない。しかし、他にも入札があるので落札できるかどうか。

2012年5月13日 (日) カバー選び
インドネシア展まで、あと1ヶ月。ようやくカバー選び。カバーの数は、昨年の横浜と同じ244通。入れ替えは最終確定はまだだが、19通。ファイルの編集は、基本的に19通分を書き込めば形になる。他は昨年の横浜のファイルのデータをそのまま流用できるので、楽といえば楽。あとは、書き込みなどの改善を、どれだけ出来るかがポイントとなりそう。いくつかの改善箇所はあるが、まずは、新規の19通を入れてからとなる。
他に、インドネシア展固有の事情として、リーフの縦が29cmまでと、A4サイズの29.7cmより7ミリ低い。リーフが、多少重なるが縦30cmまでは構わないということだそうなので、いつもの縦がA4のリーフを使うことにし、リーフ下側に下段のリーフが重なっても最低限ページ番号が見えるように、ページ番号の位置を少し上に動かしたりの調整を入れることにする。

基本的に、カバー選びは、27ある料金期間毎にカバーを入れ変えるのだが、有力な追加入手のカバーがないため、無風な料金期間がある一方、カバー選びに悩む料金期間も結構あった。リーフ数を増やせず、カバーを入れ替えるだけというのは初めての経験。
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1946年2月21日ハンガリーのブタペスト(Budapest)からアルジェリアのコンスタンティン(Constantine [Algerie])宛の外国書状です。15,000ペンゲー切手単貼。アルジェリアとの郵便交換が再開されていなかったため、差出人戻しのゴム印が押されています。アルジェリアといえばアフリカで面白い宛先。カバーの状態も良い。しかし、今回の選択からは漏れることに…。

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同じ郵便料金期間の1946年2月4日ハンガリーのシャルゴータルヤーン(Salgotarjan)からバルバドスのブリッジタウン(Bridgetown [Barbados])宛という怪物があるためです。切手はなく、代わりに15,000ペンゲー現金支払いがあったことが記入されています。外国宛の書状の差出局は、ブタペスト局が圧倒的に多く、ブタペスト以外も大都市ばかりで、シャルゴータルヤーンという小さな局は珍しい。また、最初、宛先のバルバドスという国がどこにあるか分からず、ネットで調べて、西インド諸島の東端、またはキューバの東南に点線のように並ぶ諸島からわずかに東に離れた所と知る有様でした。こんな辺鄙な場所であれば、アフリカとはいえ、地中海に面したアルジェリア東部の中心都市コンスタンティンでは、弱いですね。

2012年5月6日 (日) 連休最終日
GWも今日で終わり。新規入手カバー100通強の不明点を一括して、師匠に質問のメールを出す。メールを書く時に、あれこれと師匠の本を読み返したり、調べたりして、5時間強。本の読み返しで、すっかり忘れていたことを思い出したり、気付かなかった点に気付いたのもあった。師匠の本の翻訳が進んでいないのは、計画違いで、殆ど原本を直接参照だが、インドネシアが迫った今、作品作成が優先。師匠への質問のため、あれこれと調べ、脳が活性化しているので、熱いうちに、翻訳を進めれば、かなりのスピードが出そうだが…。

2012年5月5日 (土) 参観時間
連休中の用事で作品作りは一休み中。日本コミッショナーから、インドネシア展の日程表が届く。初日と最終日以外、10時から20時まで参観できる模様。じっくりと見ることが出来る。

2012年5月3日 (木) 基本データ入力完了
昨日、100通超の新規入手カバーの基本データ入力作業完了。これで、タイトルリーフを除いた127リーフにどのカバーをあてはめるかという準備が一通り整った。また、過去のデータには、どの切手展で使ったのかという情報も入力しているので、Excelの機能を使いながら、選択できる。以前、師匠からカバーを譲ってもらった時、これ、初めて金賞を取った時に使ったものだよ、と書かれて驚いたのだが、今は、Excelなどがあるので簡単に管理が出来る。便利なものだ。
次は、タイトルリーフの修正。横浜の時に、作品全体の地図が欲しいといわれた。それは、料金表相当を入れて、ページを振るしかないと思うのだが、フォントを小さくしないと入らない。12ポイントはダメで、10ポイント、表は9ポイント程度にしないと1ページに納まらない。美的に今ひとつ。そういや、ポルトガルでも、横浜でも似たような作品が結構あったんだなと思い出す。字が小さく、読み難いと思ったのだが、結局、同じことをやっているではないか。もう少し見やすい印象を与えられるようにしたいが、注目のカバーなど、作品本体を作らないと調整が難しいから、調整は後回し。

2012年5月1日 (火) 本格準備開始
スタンプショウも終わり、昨日から、インドネシア作品作りに着手。まずは、昨年の日本国際切手展以降、入手したカバーのデータ整理から。Excelで管理していて、画像も参照出来るようにしている。データを入れる手間は少々掛かるのが難点。しかしデータを入れると、Excelが持つ色々な機能を使って、瞬時に切り出しなどが出来るのが大きい。対象のカバーは100通強なので、1通ずつ入力していたら、1週間かけても出来ないし、疲労困憊してしまう。そこはテキストの一括置換機能なども使って、ちょこちょこと時間の短縮を図っている。

2012年4月28日 (土) 連休突入
気付いたら、今日から連休。連休という実感が何故かない…。と書きながら、スタンプショウへ。殆ど聴覚障害者切手クラブのラウンジに詰める。
前夜、バタバタと販売品の準備をしていたら、しまったまま、忘れていたカバー群が出てきて、準備そっちのけに。よく分からずハンガリーインフレの師匠に質問しようと思いつつ、それっきりっていうのも。今もよく分からないので、師匠に聞いてみよう。思わぬ収穫という気もするが、元々入手していたのを整理出来てなかっただけのこと。そういう整理できてないカバー、一体どれだけあるんだが…。

2012年4月26日 (木) まずホテル確保
無料で変更・キャンセルが出来るのでインドネシアのホテルをとりあえず予約。参観重視でオフィシャルホテルを選択。航空券の方は、いついくのかもまだ決まってないので、まだ確保していない。仕事の調整が付く連休明けになりそう。
明日からスタンプショウ。明日は行けず、土曜と日曜に行く予定。

2012年4月18日 (水) あと2ヶ月
巷ではロンドンオリンピックまであと100日と出ているが、こちらインドネシアまであと2ヶ月となった。準備以外のことで力捕らわれて、集中できるのは、スタンプショウが終わった後になりそう…。まずは、フライトとホテルを確保しなければ…。

2012年4月7日 (土) 翻訳再開
ミニペックスなどで、師匠の本の翻訳作業が中断。気付いたら、インドネシアまで2ヵ月と少し。落ち着いてきたので、作業再開。時間が限られているので、理解できてない部分が本の終わりの方に集中していることもあり、順序を逆にして、最後の項目から。翻訳に疲れた時、展示の準備を進め、GWあたりに作品作成に切り替える作戦。

2012年3月26日 (月) お粗末
インフレカバー収集の傍ら、聴覚障害関係のカバーも拾っている。
ネットで、聾唖の唖を意味するdumbの葉書を拾ったと思ったら、dumb cancelすなわち無声印。それも実物が到着してから気付くという始末。画像があまりはっきりせず、良く確認しなかったのもあるが、無声印のことをきれいに失念。

2012年3月25日 (日) 追加入手100通超
ミニペックスが終わって1週間。インドネシアまであと3ヶ月もない。早く、師匠の本解読再開としたいのだが、なかなか…。少し時間あったので、未整理のハンガリーインフレカバーをざっと数えたら104通。他に5通が到着待ち。昨年の横浜国際切手展のあと、これだけよく入手したもんだと我ながら感心。もっとも使えそうなのは半分もない。それも、リーフ数は増やせないので、横浜の作品からカバーを入れ替えることになる。その入れ替えの際の判断などに、師匠の本解読がどこまで出来るかがカギとなりそう。

2012年3月18日 (日) 第4回聴覚障害者切手クラブ切手展無事終了
一昨日から今日まで、聴覚障害者切手クラブミニペックスでした。
企画展示作品をぎりぎりまで修正し、日記を書く余力がありませんでした。天候的にはあまり恵まれませんでしたが、大勢の方々が観に来て下さいました。観に来て下さった方々、どうもありがとうございます。

2012年3月13日 (火) ミニペックス準備中
3日後の金曜から、聴覚障害者切手クラブのミニペックスです。企画展示作品を作成中。こりゃ、ぎりぎりまで作成といういつものパターンですね。

2012年3月7日 (水) また入手
1922年7月1日のカバーを再び入手。6年以上捜し求めて1通見つけたと思ったら、その数日後に別の所で発見。

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画像がそれで、1922年7月1日ドイツのハイルブロン(Heilbronn)からベルリン(Berlin)宛の国内書状です。100ペニヒ(=1マルク)切手3枚貼と先に入手の3マルク単貼とは違うので、使う時には適した方を使い分けられます。長い間巡り合えなかったものが、こうして連続して巡り合うとは、不思議なものです。

2012年3月5日 (月) どざっと到着
2月中旬に大量即決・落札関係がどっと10通超届いてきた。先日、書留の不在通知(7通)を持って受け取りに行ったら、配達記録とかも混じっていて手続きの確認に手間とって、後ろに行列が出来ていた(汗)。

2012年3月4日 (日) 一目惚れ
惚れやすいタイプだと思うのだが、ドイツインフレカバーに、簡単には惚れなくなってしまったような気がする。しかし、数ドル程度のカバーに惚れることしばしば…。

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上の画像が、それで、1922年9月30日ドイツのハノーファー(Hannover)市内書留です。料金の内訳は、国内書留2マルク、ローカル書状20g1マルクの計3マルク。気に入る要素はいくつもあって、まず、大好きな郵便料金最終日。そして、書留なのに国内書状3マルクと同じ料金で、3マルク切手単貼、更に、ローカル書状料金が、1.25マルクから1マルクに値下げとインフレ期には珍しいというより、基本郵便料金で唯一の値下げ。これには、一目惚れ。

2012年2月26日 (日) ドイツインフレの料金初日・最終日の穴埋め
ドイツインフレ1922-1923年の全料金期間の初日・最終日の国内書状の完収を目指しているのですが、長い間残り2つの穴が埋まりませんでした。ようやく、2つの1つ1922年7月1日のカバーを入手しました。

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上の画像が、それで、3マルク料金の初日です。ドイツ(1922−23)に、今回のカバーを追加しました。超久々の日記以外のページ更新です。過去の日記を調べたら、2005年8月31日に、残る料金初日・最終日は、1922年7月1日、10月1日の2つとあり、穴を1つ埋めるのに6年半かかったことに。ドイツインフレカバーの収集を始めたのが、2004年2月であり、1年半で穴残り2つまで進んだのですが、その4倍かかるとは思いませんでした。最後に残る穴、1922年10月1日を入手するのは、いつになるのでしょう。

2012年2月25日 (土) ロシアインフレの海図入手
1920年代のロシアインフレ期の郵便料金表をなかなか入手出来なかったがようやく入手。たった2枚の紙で、1922年までで1923年が入ってないのだが、手探り状態からは抜け出せる。既入手のカバーをみて、的外ればかり集まっていることに愕然。また料金表通りでない方が圧倒的で、ポーランドに似た状況。ともあれ、今後は、安心してカバーを探すことが出来る。これで、個々の程度はともかく、1920年代インフレ5カ国(ロシア・ドイツ・オーストリア・ハンガリー・ポーランド)の料金表が揃った。
料金表は、フランス語。先日、ヨーロッパのネットオークションでフランス語で検索したのが、そのネットオークションとは別の所から、フランス語の料金表を入手とは不思議な縁だ。考えてみれば、フランスは、ドイツを抑える意味合いもあって、ロシアに好意的なんだよな。

2012年2月22日 (水) 激しい為替レート
最近、ユーロでの購入が増えている。為替レートを気にしていたら、物を逃してしまうので、レートを気にせずに、欲しい・必要なものを見つけたら、次々とゲットしている。

2012年2月20日 (月) 濡れ手で粟
3月中旬に、聴覚障害者切手クラブのミニペックス。展示作品の準備関連も兼ねてネットを漁ってみた。ヨーロッパのネットオークションを久し振りに本格的に探ったら、欲しい物があるわあるわ…、続々即決・入札。更に、試したことのないフランス語で検索してみると、これまた色々出て、即決・入札しまくり。入札中を含め、最終的に100点を超えそう…。

2012年2月18日 (土) インドネシア
今年唯一の国際切手展"INDONESIA 2012"にハンガリーインフレ1945-1946を申し込んだが、受理されたと連絡があり、出品料を振り込んだ。しかし、師匠の申込が受理されなかったので、喜べない。ともあれ、作業中の師匠の本の解読を進めなければ…。

2012年2月11日 (土) 以前のレベルに近づく
師匠の本、一次訳完了。ようやくディスク故障時点のレベルに戻した感じ。以前、気付かなかった点に色々と気付いた。最後の方の、色々な特殊な例、師匠の考え方などは、今後の収集を進める上で重要な情報。新発行切手の郵便局への配布が遅れている実態からみて、FDC(ここではもちろん、実逓便)の評価が非常に低い、また、実際の地域別の新切手の出現時期の調査の必要性の部分などは、すんなりと理解出来た。3年の蓄積だろうか。
次のステップは、理解できている所とそうでないところを色分けし、理解出来てない部分を順次減らしていくことだろう。

2012年2月5日 (日) ようやく弾みがつく
一次訳の作業中ですが、作業が、ようやく機械的になってきました。今日は、ほぼ一日フリーということもあり、かなり進みました。訳は無茶苦茶なのですが、それとなく理解出来ている部分が3年前より増えているのは、やはりうれしいですね。

2012年2月1日 (水) ホームページ開設7年
ホームページを開設して7年となりました。色々な方に支援戴きありがとうございます。相変わらず更新出来ず、日記を細々と綴るのがやっとなのですが、今後もよろしくお願いします。

ハンガリーインフレの師匠の本解読作業で、苦戦中です。一次訳の最中なのですが、機械的に一気に進む作業のはずが、そうならず、脱線しまくってます。

2012年1月25日 (水) 安全でないサイト
一昨日、日記を書こうとしたら、自分のサイトの表示が変なことに気付く。何かと思ったら、どうやらブラウザ側で、安全ではないサイトと判定されてしまったようだ。一昨日は忙しい時、しかも翌朝は雪で出勤で難儀することが予想出来ていたので、早く就眠したい。が、放っとけないので、調べてみる。何故かは分からないが、SmartScreenっていうフィルタで、フィッシング詐欺サイトないし、意のあるソフトウェアが含まれているとなっているため、ロックされている模様…。解除する方法を見つける。普通なら、すんなりと見つけただろうだが、少々慌てたのでちょっと時間がかかった。解除の申請に、個人情報を書く部分があり、これ新手の落とし穴か、どうか悩ましい…。日本語で入力したのだが、申請後、届いたメールはマイクロソフト社からので、完全な英文。これは、ちょっとしゃくだった。中にFAQのURLがあって、そこは日本語なので、尚更、不可解だ。英語には、毎日接しているのだが、そうでない人はパニックになる所だ。お陰で、就眠がすっかり遅くなった。翌朝(すなわち、昨日の朝)確認したら解除されていた。確認した後、登山靴を履いて、出勤。登山靴でも、歩くのに難儀し、体力を使った。

2012年1月22日 (日) テキスト化完了
師匠の本、OCRでテキストにする作業ひとまず完了。精度が今一つで、修正作業で手間取った。"1(イチ)"と"l(エル)"、"0(ゼロ)"と"O(オー)"はよく間違えるパターン。この後の作業は、無料翻訳サイトを利用して、一次訳。その次の作業が一次訳と原文を比較しながら、修正。ここまで進めば、それなりに意味の分かるものになり、自己メモとして、使える。また、分からない部分もはっきりしてくる。
前回の作業は、いつだったかなと、過去の日記を読み返したら、2008年1月。ちょうど3年前だ。今は、準備にうってつけの時期ということだ。

2012年1月18日 (水) 全日展
全日本郵趣1月号が昨日届いた。年末年始の慌しさや解読作業で、届いてないことに気付かなかった…。全日本切手展2012開催のことが載っていた。7月中旬に開催の方向で検討中の模様。6月のインドネシアに申し込んでいる身としては、もしも受理されなかった場合、出品を考えてみるということになりそう。今、進めている解読作業もインドネシアを意識しての作業。それにしても、今年の国際切手展(FIP展,FIAP展)、インドネシアだけとは…。逆に来年は、FIP展だけで、オーストラリア、タイ、ブラジルと3つもある。今年は準備の年ということになりそうだ。

2012年1月14日 (土) 解読作業再開
今年に入って、ハンガリーインフレの師匠が著した"The Hungarian Hyperinflation of 1945-1946"の解読作業を再開。以前、一度、途中まで作業を進めていたが、1年半程前のハードディスク故障でフィになった。バックアップをとっていなかった。266ページという厚さなので、再開する気力が出なかった。記憶に頼って収集を続けてきたが、更に発展するには、再チャレンジの必要性を感じるようになった。翻訳をしてみると、理解できていない部分はうまく訳せないので、理解出来ない部分がはっきり分かる。著者に直接質問が出来る恵まれた環境なので、それを活かさない手はない。翻訳に入る前の準備に1ヶ月ほど。3月頃に、以前のハードディスク故障時点のレベルまでに戻せばと思っている。4月以降は、前回の翻訳作業時、理解出来ていなかった部分を少しずつ、解読して、不明部分を減らしていく感じで進めれば…。

2012年1月8日 (日) 国境隣接便
ドイツインフレ期の特殊な郵便制度として、国境隣接便というのがあります。宛先が外国であっても、差出地と受取地が30Km以内であれば、基本料金はドイツ国内料金と同じ料金となるというものです。ベルギー、デンマーク、オランダ、スイスで適用されたのですが、フランス、ポーランドは適用されなかった。見た目、平凡な国内便と同じに見えるため見落としやすいものです。

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画像は、1923年9月13日ドイツのグローナウ(Gronau)からオランダのエンスヘーデ(Enschede)宛の印刷物です。左下に"Drucksache"が押印され、印刷物であることを示しています。料金が前納されて、切手は貼られずに、金額15,000マルクが右上に記入されています。15,000マルクは国内印刷物料金です。外国印刷物は40,000マルクです。宛先の国名の記入がなく見た目普通の国内印刷物に見えます。しかし、グーグルマップで確認すると、確かにエンスヘーデはオランダで、グローナウから10Km程しか離れていません。国境隣接便は3通持っているのですが、1923年8月以前のもので、いずれもスイスばかりです。1923年9月以降のスイス以外が欲しいと思っていた所で、うれしい補強となったのでした。発行日前使用カバーが連れてくれた強力な仲間でも、もっとも珍しいものです。但し、入手すると、もっと上のもの、例えば、最短料金期間(1923年11月1日〜4日)のベルギーないしデンマーク宛が欲しくなってしまいます。

2012年1月7日 (土) 強力な仲間たち
先日取り上げた発行日前使用カバーは、1923年11月3日の使用ですが、この料金期間は、弱点の一つでした。ドイツインフレの最短料金期間で11月1日から4日までの僅か4日間です。昨年の横浜国際展では4リーフなので何とか8通を展示することが出来たのですが、次は8フレームとなり、6リーフとなり4通増やさなければなりません。それで補強しなければと探していた時に、見つけたものです。偽造の可能性もあるが、ともかく入手しようとしたのは、そういう補強をしたいという面もあったのでした。師匠が代理入札してくれ、師匠の所に数ヶ月間留まっていましたが、色々な強力な仲間を連れてくれました。下の画像はその一つです。

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画像は、1923年11月3日ドイツのベルリン(Berlin)からインドネシアのTjimahi(読み方不明)宛の印刷物。印刷物の表記がないのですが、メータースタンプに記された料金4000万マルクから判断。Tjimahi局の消印1923年12月8日が表に押されているのがうれしい。住所が変わったらしく、赤で転送先が記され、裏に1923年12月9日消の印が押されている。局名の前半が読めないのだが、転送先の表記からして、綴りはWeltevredenだろうか。珍しさなら、もっと上のがあるのだが、取り上げたのは、弱点の最短料金期間の補強だからです。あと2通補強出来れば、弱点だった最短料金期間も安心です。

2012年1月2日 (月) 謹賀新年
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
昨年は大変な一年でしたが、国際展に2作品を出品し、ハンガリーインフレだけでなくドイツインフレも8フレーム出品資格を得、更にJAPEX'11の企画でドイツインフレを手話で講演と、切手収集上では、充実した1年でした。多くの皆さんの協力のお陰です。今後も、インフレカバー収集に邁進します。それだけでなく、聴覚障害関係の資料集め・保存も進めます。

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画像は、1923年11月3日ドイツのベルリン(Berlin)からレンゲンフェルト(Lengenfeld)宛の価格表記便。表記価格は5588億マルクで、1億マルク毎に料金2ミリオンマルクなので5588を倍にした11176ミリオンマルクに書状100g(81gの書き込みあり)の140ミリオンに書留50ミリオンを加えた11366ミリオンマルク分の切手がピタリと貼られています。
このカバーは一見して、あまり綺麗でないパッとしないものなのだが、2011年で最も印象に残るものなのです。表に13枚、裏に9舞とたくさん貼られている500ミリオンマルクの切手の発行日はミッヘルカタログによれば、1923年11月5日となっているのです。ネットオークションで見つけた時は、偽造かと思ったが、どうみても偽造に見えない。到着印が11月5日なので、消印の日付ミスでもなさそう。試しに入手して調べようと思ったら、ドイツ国内でしか入札が出来ない。出品者に問い合わせたら、外国との取引でトラブルを経験しているのでお断りの返事。それで、師匠に相談した所、発行日前使用だよと教えてくれて、代理入札を引き受けてくれたのでした。それだけでなく、お互いに仕事で忙しくなったりしたので、休み休みが入ったのですが、色々なアイテムのオファーがあり、1通のカバーが、たくさんの数十通の強力な仲間を連れてきてくれたのでした。ドイツ大手オークションで入手した11通のカバーもその師匠のやりとりの一環でした。但し、その大手オークションは、通常チェックしているというのに、師匠とやりとりしている時に、面白いものが出てくるというのは全くラッキーです。